ヨーロッパアルプス
 ベルナーオーバーラント/ザースフェー〜ツェルマット


2000年4月27日〜5月8日
メンバー:先発隊:井上、大出、田中、渡辺 後発隊:山室、塩見、森田



 今回のヨーロッパアルプス遠征の概要は、東京コッヘルクラブのメンバーが中心の7名パーティーで、まず全員でベルナーオーバーラント山群を滑り、その後井上,大出,田中,渡辺の4名(先発隊)はシャモニ〜ツェルマットのオートルートを、5年前にシャモニ〜ツェルマットをトレース済みの山室,塩見,森田の3名(後発隊)はザースフェー〜ツェルマットを行こうという計画である。前回同様、全行程ガイドレスでの山行である。

4/27 山室・塩見・森田の後発隊3名成田発。

4/28 チューリッヒ着。その日のうちに1日早くスイス入りしている先発隊とオーバーメンヒヨッホ小屋で合流する予定であったが、悪天のためクライネシャイデックで電車が止まってしまい小屋に入ることが出来なかった。仕方なくその日はクライネシャイデック駅の上のホテルで泊まることにした。ここはまだ下界なのでシャワーも浴びられ、快適な一夜を過ごす。

4/29 天気は回復しないが、電車が動いたのでとりあえずユングフラウヨッホまで歩を進め様子をうかがう。ユングフラウヨッホに着くと、小屋に向かう出口のゲートには鍵がかかっていたのでどうしようかと思案したが、ガイド付らしい西洋人パーティーはゲートを乗り越えて出ていってしまったので我々もそれに従いゲートの上を乗り越える。外に出ると一面乳白色の世界。しかし、オーバーメンヒヨッホ小屋まではポールが立っているので問題ないとの先発隊の情報だったので出発する。時折次のポールが見えなくなる位の視界であったが特に問題なく小屋へ到着する事ができ、先発隊と無事に合流してビールで乾杯する。ここは標高が3627mもあるので、皆さん高山病で頭が痛いらしく少々元気がなさそうであった。


4/30 晴天の期待もむなしく天候は回復せず今日も停滞かと思われたが、午後から晴れ間が見えだし、頭痛の山室さん、スキーヤーの田中さん以外のメンバーはメンヒに登ることにする。小屋から少しユングフラウヨッホ側に水平に歩き南東稜に取り付く。登り初めてすぐに大出さんが体調不良で脱落。メンヒは最も楽に登れる4000m峰のように書かれているが、途中ちょっとしたナイフリッジや岩場などがあり、それなりに雰囲気は楽しめる。あいにくガスの中で展望は無かったが、特に苦労もなく4099m(新しい地図ではなぜか4107m)の狭いピークに到着した。相変わらず辺りは何も見えないが、今回初めてのピークなので妙にうれしい。あまりうれしかったので先に到着している西洋人の2人パーティーとつい握手を交わし、登ってきた塩見さんとも喜びの握手。しばらくして井上さんと渡辺さんも登ってきた。みな今回最初のピークに満足そうである。下山は、一ヶ所岩場を下りるところで念のためロープをフィックスした。
 小屋に戻ってビールで祝杯をあげるが、再び視界が開けてきたので今度は田中さんとユングフラウフィルンと反対側のEwigschneefeldを傾斜が緩くなるところまで滑ってきた。下りきった先、殆ど平坦になった雪原の真ん中になぜかテントが3張りほど張られていた。
 今日は午後からの行動だったがなかなか充実した1日であった。

5/1 待ちに待った晴天の朝である。まずユングフラウヨッホに向かって(昨日物好きにもひと滑りした田中さんと私以外は)今回最初の滑降となるが、来たときはガスの中で何も見えなかったのでわからなかったが、適度に斜度もあり結構快適に滑って行くことが出来た。
 ユングフラウヨッホ付近からユングフラウへの登路を観察するが、ロートタールザッテルへ直接登るルートは既に上部が割れていて登れそうになく、ロートタールホルンの東北東稜から登ることにする。左から回り込むように東北東稜に取り付く。取り付で登頂に不要な荷物をデポする。広い尾根状からロートタールザッテルに向かってトラバースするところはトレースが無くて雪面が堅かったら少々緊張する場面であるが、今回は太いトレースがしっかり着いているので安心だ。ロートタールザッテルで皆が登ってくるの待って小休止。
 大出、田中、渡辺は今日はここまでとして、井上、塩見、森田、山室の4名が山頂に向かう。 ここからは板を脱いでアイゼンとピッケルに替え、念のためロープも持参して登る。最初の雪壁がやや傾斜が強いが、それを越えると問題なくユングフラウ山頂へ導かれる。今回2座目の4000m峰である。展望も申し分無い。昨日登ったメンヒや隣のアイガーが間近に見える。下りは雪が団子になり危険なので最後の雪壁はロープを使って下降した。
 ロートタールザッテルに戻るといよいよ滑降に移るが、さすがに雪が腐って来ていて必ずしも快適な滑降とは言えなかったが、好展望の中気分だけは最高である。デポ地点で荷物を回収し、少し下ると傾斜が緩くなり、そこからは延々と直滑降が続く。遠くコンコルディア小屋が見えるが、なぜか氷河からものすごく高い位置に見える。あんな所へどうやって上がるのだろうと素朴な疑問を感じながら直滑降を続ける。遠くに点のように見えていた小屋が見る見る間にどんどん近づいてくるのは何とも気分が良い。スキーの機動性を遺憾なく発揮している瞬間だ。これを歩いたら何倍の時間がかかるか判ったものではない。小屋に近づき傾斜がさらに緩くなると、雪質の悪化と相まってさすがにスキーが滑らなくなる(直滑降は午前中の雪面が堅い時間に限る!)。小屋の前に着くと先程の素朴な疑問の回答がわかった。鉄の階段だ。
 長い長い階段を登って小屋に到着して落ちつくと、今後の行動を話し合う。既に停滞で1日予定がずれているのだが、明日泊まる予定だったフィンスターアールホルン小屋の予約変更をしたところ満員で断られてしまった。後半の予定なども考えて、明日はフィーシャーホルンに登りフィンスターアールホルン小屋に行く予定を変更し、1日下山を早めてアレッチ氷河を下ることに決定する。その晩私はなぜか調子が悪く、食欲もあまりなかった。風邪の前兆らしい。

5/2 今日は急遽下山と決まったが、天気は良くアレッチ氷河の下降は楽しみである。長い長い階段を下りて滑降準備を整えると、山室さんが部屋にサングラスとシールを忘れてきたことに気付く。一瞬の沈黙の後、なぜか私は再び長い長い階段を登っていた・・・。
 広いアレッチ氷河だが、最初のうちは傾斜も適度にあり、なかなか楽しい滑降であったが、やがて直滑降主体になる。アレッチ氷河からの下山ルートはスキー地図「ユングフラウ」の831〜63のルートをとりフィーシュ(Fiesch)に下りるか、69のルートで2000m付近から登り返しベットマールアルプ(Bettmeralp)に下りるかが考えられる。我々もまずフィーシュ方面の分岐点を偵察したが、氷河湖の上をきわどくトラバースし、登り返しも辛そうだったので後者をとることにする。この先はクレバス等で既に凸凹でその間を縫うようにトレースが続いている。氷河の上を川が流れていたり、所々池があったりする見慣れぬ風景の中を徘徊するのは結構楽しい。
 2000m付近からのシールを付けての登り返しは思ったよりも楽で、見おろすとアレッチ氷河の素晴らしい展望に疲れを感じさせない。上りきった稜線の反対側はスキー場で、既に営業は終了しているが雪はつながっていてベットマーアルプまで滑り降りて滑降終了。あとはロープウェイ駅まで歩き、ロープウェイを2本乗り継いでベッテン(Betten)に到着すると、ロープウェイ駅の下がそのまま電車の駅であった。ここでシャモニへ向かうオートルート隊とはお別れ。駅のハンバーガースタンドでビールで乾杯し、ベルナーオーバーラントの無事を祝した。
 その後我々3名は、ブリークでクライネシャイデックから送った荷物を回収し、ポストバスでザースフェーに入る。今晩はここで泊まりのんびりする筈だったのだが、いざ到着してみると、なんとロープウェイの営業は今日が最後との情報を山室さんが入手してきた。(もう1日ベルナーオーバーラントにとどまっていたらどうなっていたのだろうか?)最終の16:30にあと30分ほどしかない。服も着替えてすっかり町仕様のお姉様に変身していた塩見さんとシャワーが浴びれると喜んでいた私は再び慌ただしく山仕様に逆戻りしてロープウェイに乗り、ブリタニア小屋に入った。
 あまりの慌ただしさに今回初めてだったザースフェーという町の印象は全く残らなかった。(続く)

コースタイム
4/29ユングフラウヨッホ(12:15)―オーバーメンヒヨッホ小屋(13:08)
4/30オーバーメンヒヨッホ小屋(12:45)―メンヒ山頂(16:00)―オーバーメンヒヨッホ小屋(17:33)
5/1 オーバーメンヒヨッホ小屋(7:15)―ロートタールザッテル(10:41〜11:26)―ユングフラウ山頂(12:15)―ロートタールザッテル(2:25)―コンコルディア小屋(17:08)
5/2 コンコルディア小屋(7:50)―2000m登返し地点(9:12〜9:28)―稜線(10:32)―ベットマーアルプ(11:15)


ベルナーオーバーラント地形図
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