以下の文章は、東京コッフェルクラブのメンバーによる1995年のヨーロッパアルプス・オートルートの山行報告書から転載しました。




ヨーロッパアルプス
 オートルート/シャモニー〜ツェルマット

   〜東京コッフェルクラブ  ヨーロッパアルプス オートルート山行報告書より〜

1995年4月27日〜5月8日
メンバー:山室、塩見、平川、平川、森田



グラン・モンテ〜トリエン小屋  4月29日(土) 晴れ後雪

 8時20分ホテルを出発、グラン・モンテ行きのロープウェイに乗る。いよいよオートルートの始まりである。ロープウェイの終点からは、昨日のエギュ・ド・ミディに劣らない素晴らしい展望である。アルジャンチエール氷河の対岸にはシャルドネ針峰群とこれから登るシャルドネのコルが目の高さに見える。シャルドネ氷河はかなり急勾配に見えるが、良く見るともう人が登っている。アルジャンチエール小屋からの人々だろうか。蟻のようにと言うよりもまさに点にしか見えない。
 グラン・モンテのコルからアルジャンチエール氷河までは、やや急傾斜な一枚バーンといった感じで標高差は700mもある。コルからまっすぐ降りると両脇にポールが立っていて一般スキーヤー用のエリアになっているようだ。我々は途中までそこを降りてから右に少しトラバースしてポールを越えてさらに下に向かう。この方がシャルドネ氷河を登り返す地点にまっすぐ行けるようだ。最初のうちは快適に滑っていたものの、トラバースしたあたりからかなりの悪雪になってしまい、そうとう体力を消耗してしまった。ようやくアルジャンチエール氷河まで降りて小休止すると、なんと平川(麻)のスキー板の片方がビンディングのすぐ後ろとテール部分で折れていることに気がついた。本人は板が折れたということよりチューンナップに出した直後なのにとしきりに嘆いていたが、今から考えるとこの出来事は今日これからの1日を暗示するかのようであった。
 シャルドネ氷河は、取り付きから中間くらいまではやや急であるが、しっかりしたトレースがあったので問題はなく登れた。むしろ上部の傾斜が緩やかになってからのほうが全く足取りがはかどらなくなる。10歩進んでは立ち止まり息を整えるというような状態でようやくシャルドネのコルに着くと、そこから反対側の下りは急傾斜でロープが必要なため順番待ちになっていた。全員かなり疲れている様子で、私自身も高度の影響かコルで休んでいるうちに気分が悪くなってきた。特に山室は完全に高度障害らしい症状を呈していた。コルからの下降は、まずピッケルで支点を作ってから最初に塩見がロワーダウンして下に支点を作り、平川(麻)、山室、平川(啓)の順で懸垂下降、最後に森田がザックと板とを先に降ろしてから、下で塩見に確保してもらいクライムダウンした。ここは順番待ちも含めてかなりの時間を費やしてしまった。30m1Pの下も傾斜はきつく、ロープは使わなかったが慎重に降りる。途中塩見がスリップするが、雪がやわらかかったのですぐに止まり無事であった。スキーブーツでの下りのキックステップは少々大変だっただろう。
 この頃になると空は雲に覆われ遠望が余りきかなくなる。サレイナ氷河をサレイナの窓へ登り返す地点まで左の岩壁沿いにトラバース気味に滑る。トレースが付いているので安心だ。サレイナの窓への登りは、短いながらも最後はかなり急になり、直下で板を脱いで登る。ここでも山室は相当遅れ、最後の急斜面はザックと板をロープで先に上げる。この時点ですでに18時をまわっていたので、これでは小屋の夕食に間に合わないのではと心配になる。雪もちらついてきたが、あとはトリエンプラトーをトリエン小屋まで下るだけだと思い、最後の力をふりしぼってトリエン小屋方面らしいトレースを追う。しばらく進むと前方にようやくトリエン小屋が見えだしてほっとすると同時に、それがプラトーから1段高い岩の上にあるのを知って愕然とする(こんなことは地図を見れば明白なのに・・・)。再びシールを付けて最後の登り(たった標高差70m程なのだが)をただただ気力で登りきり、小屋の扉を開けると中は夕食中で大変な賑わいであった。宿帳に記載し、我々も20時から夕食を食べられると聞いて本当にほっとした。メニューはスープ、野菜、牛肉とマッシュルームソース、マッシュポテト、デザートのプリン(これは私は見ていない)であったが、私はスープを飲んだだけで食べ物がのどを通らず早々に床に就いてしまったのであった。
 今日は予定コースタイムを3時間もオーバーしてしまい、時差、旅疲れ、高度障害などが一気に噴出してしまった辛い1日であった。それにしてもこの時いったい誰が翌日以降のこのパーティーの劇的な変貌を予測できただろうか・・・。
                                         (森 田)
〔コースタイム〕
グラン・モンテのコル 9:45 → アルジャンチエール氷河 10:30 → シャルドネのコル 14:05 → サレイナの窓 17:10 → トリエン小屋 18:45


トリエン小屋〜シャンペ=ル・シャブル  4月30日(日) 高曇り

 昨夜からの雪も出発する頃にはやみ、視界もあるため、行動するのに問題はない。しかし、昨日の山室を筆頭とする体調不良や平川(麻)の壊れたスキー板の新規調達などのため、当初の計画を変更して、モンフォー小屋まで行かずに麓の町に泊まって鋭気を養うこととしたため、小屋を出たのは8時半過ぎで最後の方になる。トリエン小屋から右手に岩稜を見ながらトリエンプラトーの東サイドの緩斜面を快適にとばすと、平坦になった辺りで正面にシャモアの窓が見えてくる。シャモアの窓下までトラバースの後、左手下に短いがかなりの急斜面が見える。真下にトリエン氷河のクレバス帯も見え少し緊張するが、昨夜から朝にかけて降り積もった新雪が幸いして、皆スキーで滑り下りることができた。しかし、もし、凍っていたらかなり緊張する横滑りか歩いて下ることを強いられただろう。さらに、左手にトリエン氷河のクレバス帯を見ながら、太いトレース上を一気にエカンディのコル下まで斜滑降で滑り込んだ。コルヘの斜面は先行パーティーのステップがあったので、つぼ足で登ったが、欧米人の歩幅は我々には広すぎるため結構大変であった。コルから振り返ると、トリエン氷河のセラック帯を隔てた向かい側には針峰群が連なっていた。
 コルからシャンペの町までは、標高差約1300m、雲のはるか下である。アルペッティの谷は悪雪であると聞いていたが、昨夜の降雪と曇りの天気のせいか、上部は快適な新雪滑降が楽しめ、最後の方こそ重い雪で苦労したものの、全般的にもそこそこの雪質でなんとかこなすことができた。左手に小川が現れる辺りでほとんど平坦になり、まもなくアルペッティのレストランに着いた。駐車場には何台か自動車が止めてあり、その先の道路脇にトレースもあったが、我々はここでスキー板を脱いだ。
 スキーブーツを脱いで荷物を整理していると、小雨が一時ぱらついてきたので、タクシーを呼んでもらうようレストランのお兄さんにお願いする。3社ほど電話してくれたが、日曜日のため来てくれるタクシーがないとのことらしい(仏語の中に所々でてくる英語と身振り手振りから察するに・・・)。あきらめて、歩きだそうとすると追いかけてきてバス停が書いてある簡単な地図を手渡された(13時までにバス停に行くようにとのことらしいが、この時はバスの時刻を教えてくれたのだと思っていた。)。下り坂のため20分ほどで、シャンペの町に到着する。湖畔で、日本から持ってきたラーメンを少々食べた後、13時にシャンペ湖畔近くのバス停に立っていると、観光バスが止まってドアが開く。どうやら、ジャンボタクシーの代わりに観光バスを手配してくれたらしい。レストランで聞いたタクシー料金と同額で、レストランの人に話した行き先(ル・シャブルの町)も知っていて、当然のことのように我々を乗せていってくれたのであった。ちなみに、観光バス貸切りで130SFr(1人当たり約2000円)であり、車窓から桜やクロッカスなどが咲く春の山里の風景を満喫できた。
 ル・シャブルの駅で(昨日ばてた大きな原因のひとつである?)カモシカバッグ2個分の荷物を(駅員は全く英語がわからず一瞬目が点状態であったが、カバンの絵と身振り手振りで)何とかツェルマットに送ることができた。その後、駅舎のレストランで昼からステーキとワインで盛り上がり、この小さな町のホテルに泊まった。このホテルで最初に応対した女性も英語が全く通じなかった。同じスイス人でも独語圏の人はほとんど皆英語を話すのに、仏語圏の人は逆にほとんどだめというコントラストは驚きであった。それでも、誰も嫌な顔もせずに(客とはいえ・・・)誠心誠意応対してくれたのは嬉しかった。
                                         (山 室)
〔コースタイム〕
トリエン小屋 8:45 → エカンディのコル 9:35 → アルペッティのレストラン 10:55・12:00 → シャンペ 12:20

オートルート(前半)地形図

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