秋田駒ヶ岳での出来事(秋田駒ヶ岳・乳頭山・焼山)

1995年2月3日〜5日   メンバー:金村,平井,森田,

 2日夜横浜を出発した私と金村は、羽田空港で平井をひろい、朝8時頃現地に到着。秋田駒ヶ岳があまりにも綺麗に見えたので当初の予定(乳頭山)を変更して秋田駒へ登る事にした。書いてきた計画書を鉛筆で訂正して1枚は車のフロントガラスに、1枚は携帯して田沢湖スキー場のリフトに乗った。ところが、2本目のリフトを本来ならば一番上まで行く第3リフトに乗るのだが間違えて他のリフトに乗ってしまいゲレンデを少し歩く事になる。
 男岳山頂でいったん視界が無くなったがすぐにまた晴れたので阿弥陀池の方に下る。女目岳のすばらしいスロープを前に登るかどうか迷ったが、笹森山からの下りがどのくらい時間がかかるかわからなかったのと天気がもつか不安だったので後ろ髪引かれる思いで八合目へと下る。
 そのころからどうも頭上を頻繁にヘリコプターが飛ぶようになる。最初は観光ヘリか新聞社のヘリかなどと言いながら問題にしていなかったが、八合目で休憩した後笹森山へ登り頂上でルート確認をしているとヘリが今度はかなり降下してきた。よくよく見ると機体に秋田県警と書いてある。と思ったらヘリのスピーカーから「下りる方向はわかっていますか?」と問われたので失礼な警官だと思いながら身振りで自分達の下りる方向を示すと「そちらへは行ったことがありますか?」とか「そちらの方向へはスキーでは下りれないと思います」とか言っている。こちらからは返答する方法がないのでしばらく思案しているとヘリはどこかへ行ってしまった。
 結局時間がすでに15時をまわってしまったので八合目に戻り田沢湖高原スキー場へ下りる事に決める。ところが、八合目から少し下ったところでKのスキーブーツ(ライケル製リアエントリーブーツ、購入9年前)のすねの当たる部分が縦にふたつに割れてしまうと云うまことにとんでもない事件がおきてしまう。スキーをザックに固定するベルトで締めあげてなんとかゲレンデまで下りる。
下山後田沢湖スキー場へ戻るバスを待つあいだバス停の近くの食堂でビールを飲んでいると警官が二人入ってくるなり「随分早かったですね」と話しかけてきた。どうやらその警官達は我々を捜していたらしく窓から外に向かって「いたいた」と合図しているからにはあと数名いたのだろう。最初はいったい何の事だかわからなかったが、話しを聞くうちにどうやら先ほどのヘリは我々の為に飛んでいたらしい事がわかった。住所、氏名を聞かれたので持っていた計画書を渡して提出用ポスト等がなかったので提出しなかったと説明すると、ポストは第3リフトの終点にあるが我々は違うリフトで上がったから気付かなかったとリフトを乗り間違えた事まで知られていたのには少々驚いた。
 結局計画書は出して下さいという主旨の話しをして最後に「秋田を充分楽しんで行って下さい」と言って出て行った。それにしても我々のために何故こんな事までやるのか良くわからなかったが、遭難者を出さない為の努力であると素直に思えた。というのも最近よくあるスキー場のパトロールなどとの不愉快な?接触ではなく、あくまで最低限のルール(計画書etc.)を守ってほしいとの"お願い"にわざわざ来たからである。警官が帰った後店の人が戻ってきて「何かあったのですか?」と怪訝そうに聞かれたので慌てて「いや何もありません」と苦笑した我々でありました。
 その夜は孫六温泉に泊まり、翌日Kのブーツをガムテープで応急修理して乳頭山へ向かったが、視界不良で田代平山荘までで断念。しかし下りは最高の粉雪のごきげんなブナ林滑降を満喫する。下山後後生掛温泉へ移動して、翌2月5日無風快晴のなかこれまたごきげんな焼山を往復。ここも最高の粉雪。後生掛温泉の裏山にテントを張って焼山を往復していたテレマーカーがいたが、あんなに極楽で安い温泉があるのにその裏にテントを張るなんて私にはわからない・・・(まあすきずきですが) 。 後生掛温泉の裏の斜面を直接滑り込み、“登山入口”に下山してひと風呂浴びて帰路に着いた。


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