奥秩父 丹波川・小常木谷

1994年7月9日 メンバー:貞弘,塩見,平川(啓),平川(麻),森田(真)

 7月8日22:00新宿駅南口に定刻通り集合。とりあえず国道20号を西へ向かって走り、車中にてこの“小常木谷”に行くことを決定。1/25000地形図は誰も持ってなかったが、昭文社エリアマップ奥秩父1をかろうじて私が持っていた(皆さん地形図がないことなど全く気にしていないところがすごい!)。余慶橋手前に車を置きテントを張ってビールを飲んで仮眠。小雨がぱらつき、天気が心配である。
 翌朝は曇ってはいるがどうにか雨は降っていなかったので出発。余慶橋手前から登山道をしばらく歩き、火打石谷出合で道が沢を横切るところから入渓。水量はあまり多くなく少々貧弱な沢に見える。最初は大した滝もなく変成岩らしい縞模様のナメが発達していて結構きれいであるがどうも小常木谷のイメージと合致しない。ひょっとして沢を間違えたのではとの疑問も出だした頃ようやく置草履の悪場の始まりである兆子の滝が現れる。とても急に見えるが左壁を簡単に登れる。落口のトラバースは失敗するとそのまま滝壷めがけてダイビングになるので慎重にしたいが、一段高いところからジャンプすれば余程水量が多いかザックが重くないかぎり無事対岸に渡れるだろう。
 この上からは気の抜けない滝が連続する。次の逆くの字滝はどう見ても“くの字滝”だと思う。ここは問題なく通過。不動の滝は右のルンゼ(水が流れていて気持ちがいい)を少し登ってから左の踏み跡に入り、次の滝も一緒に巻いてしまう。
 次はいよいよ大滝2段18m。先行パーティーがすでに取り付いていて、どうやらもう1組待っている様子である。順番待ちかと思ったが登っているパーティーは通常の水流左のルートではなくさらに左の乾いた壁にハーケンを打ちながら登っていた。しめたとばかりに早速水流沿いのルートに貞弘さんがザイルをのばす。天気は曇空で気温も決して高くはなかったが、水が案外冷たくなかったので快適なシャワークライムになる。だが全員がプルージックで登るまで水を浴びながら下でザイルを引っ張っていた私は寒かった。
 大滝を越えるといよいよ置草履最後の難関ねじれの滝である。この滝は釜が深くて美しい。万が一落ちてもこの釜に落ちれば死ぬ事はないだろう?(溺死は別)。下段は比較的簡単。上段は一部悪いが貞弘さんはなんと確保無しでさっさと登ってしまったので上からザイルを投げてもらいプルージックで塩見さん、平川(麻)さんと後に続く。2人ともさすがに身軽なもので難なく登って行ってしまう。唯一渓流足袋の平川(啓)さんは少しつらそう。履き物によって差が出るかは一概には言えないが得意不得意はあると思う。ここは溯行図で言う程ハーケンも連打されておらず、ちょっと冷汗ものであった。
 これを越えると核心部は終了で、あとはどうやって帰るかを考える事になる。岩岳沢、ナメ沢などをつめて岩岳尾根に出る事も考えたが、結局“完全溯行”ということで雨も降ってきたが最後までつめる事とする。
 源頭はちょっとしたゴルジュや小滝もあるがだんだん薮っぽくなり、最後は踏跡はあるもののほぼやぶこき状態で塩見さんが先頭きって熊笹をかきわけけ栗山尾根に出る。尾根上の踏跡をたどるとすぐに岩岳尾根の登山道にぶつかるが、念の為前飛龍を確認しようと登っていくと2名の登山者に会い、今ここはどこか聞き、地形図を見せてもらう。
 あとはひたすら雨の中岩岳尾根を下り、入渓点からは沢をそのまま下り丹波川を徒渉して国道に出る(私だけなぜか登山道をおりる。車につく時間はいっしょだったので、沢を降りた方が絶対楽だと思った)。帰りは鶴の湯温泉(どこかで聞いた事がある?)という所で日帰り入浴可という看板をだしている民宿で風呂にはいる。一人1000円とかなり高価だが風呂は新しくてきれいであった。その後、翌日大事な用がある塩見さん以外の4名は高砂“5丁目”にて打ち上げとなった。


このページのトップへ

1994年の記録へ