“ジャパニーズ・オートルート”
北アルプス 室堂〜槍ヶ岳スキー縦走
1994年4月29日〜5月7日 メンバー:杉山,森田
予定日数の約2倍を要して室堂〜上高地をつなげました。途中3日停滞でなんと8泊9日、1/25000地形図5枚を並べてもまだ足りないという距離を見るとただただ呆れてしまうかぎりですが、全て小屋泊まりという事でとても快適な9日間でした。部分的にはつらい場面が何ヶ所かあったものの全体としては大変楽しい充実した山行でありました。
当初、スキーの機動性を最大限に発揮して駆け抜ける筈だったのが、超軽量化したはずのザックがケーブルの黒部湖駅でまだポリタンに水を入れていないのに20kgを指してしまった(つまり板をつけてカメラを入れたら25kgをかるくオーバー・・・これは体力の無い私にとってはとてもスピーディーに行動出来る数字ではない)のと、とにかく天気が悪かった(快晴だったのは入山日の午前中と下山日だけ)のでこんなに日数がかかってしまいましたが、結果的にはそれがより一層内容の濃い山行になった要因かも知れません。
4/29 室堂―一ノ越―ザラ峠―五色ヶ原山荘
深夜扇沢到着、車内で仮眠。翌朝券売所に並ぶのが遅かったのか我々の数人前で始発のトロリーバスが満員になってしまったので、次発のバスを待って室堂に向かう。室堂着が遅れてしまったため、雄山往復はあきらめてすぐに御山谷を滑り龍王岳と鬼岳の鞍部に登りかえす。獅子岳への登りからはスキーを担ぎ、ザラ峠にさしかかる頃には視界は無くなり強風で前に進めないくらいであった。稜線を東側ににげながらなんとか通過し五色ヶ原の一端にたどり着くと完全にホワイトアウト。居合わせた単独行者と3名で計器走行でピタリと五色ヶ原山荘へたどり着いたときは本当にほっとした。
4/30 五色ヶ原山荘―越中沢岳―スゴ乗越
スゴ乗越小屋〜スゴ沢(1900m付近) 標高差 370m (図―1)
出発時は天候もまずまずで、鳶山をゆるく巻き、越中沢岳までは至って順調。その後は板を担ぎスゴ乗越まではあっさりと着いてしまった。それにしてもスゴの頭からの下りにもスキーを使っている人がいるのには全く頭が下がる思いだ。スゴ乗越小屋9:20着。これから天気が悪化しそうで、また昨日のホワイトアウトになったらどう仕様もないという事で(本当の理由は杉山さんが小屋に入れるところを発見してしまった為?)早々に今日はここまでと決める。
午後になると雪が降り出すが思ったより悪くならないので小屋のすぐ前のスゴ沢を滑る。ここは実に良い斜面である。
5/1 停滞(スゴ乗越)
スゴ乗越小屋〜スゴ沢(1750m付近) 標高差 530m (図―1)
朝から視界もなく雨が降っている。この天気なら迷う事無く停滞だ。他のパーティーも全く動こうとしない。トイレは小屋の中にあり、水は雨水を使えるのでとても楽ちんな停滞である。午後から雨もあがったようなので、デンマーク人のK氏と他パーティーの一人とでまたスゴ沢を滑る。2000m位まで下ると雲の下に出たらしく突然視界が開け、歓声をあげながら1750m付近で樹林に阻まれるまで狂喜の滑降をしてしまった。そこはすでに黒部川の黒い流れが目前であった。
5/2 スゴ乗越―間山―薬師岳―薬師峠―太郎平小屋
太郎山〜薬師沢(2100m付近) 標高差 270m (図―2)
7:00頃スゴ乗越小屋発。天候はあまり良くないが、回復するはずだと信じ北薬師岳まではシール登高。途中ビバークしているパーティーに2組程出会う。昨日は大変だっただろう。薬師岳までの稜線は、東側の雪庇の状況が視界が無くて全くわからかったので、板を脱いで夏道通しで歩く。薬師岳山頂も全く展望は無く、証拠写真も撮らずに早々に下りにかかる。避難小屋を確認して白一色の中そろそろと滑り出すがどうも方向感覚が狂ってしまう。どうやら尾根の東側を滑っているらしく、右側にトラバースを続けると薬師平への下りがなんとなくわかってきた。薬師平からは滑り易そうな沢筋を古いつぼ足の跡を頼りに全く他力本願で樹林の中を快適に飛ばし続けると目の前に建物が・・・薬師峠の立派なトイレだった。ここからはわき目もふらず太郎平小屋へ。私のオーバーミトンの中はずっと雲の中を歩いていたせいか金魚が泳ぐくらいびしょびしょになっていたので早くこれを乾かしたい一心で太郎平小屋に着くと窓から「おつかれさま!」と声をかけられる。小屋の人の心遣いに感謝しようと思ったらビックリ、平川夫妻であった。(平川夫妻はその後すぐに出発してしまった。)
14:00頃になると天気もすっかり良くなって青空も覗く程になったので、他パーティー2名と太郎山から薬師沢のごきげんな滑降を楽しみ、薬師峠へ登りかえして小屋に戻る。
5/3 太郎平小屋―北ノ俣岳―黒部五朗岳―三俣蓮華岳―双六岳―双六小屋
小屋の朝食を食べているのは我々2名だけであった。(どうやらみんな早出しているようだ)昨夜の夕食も大変良かったが今日の朝食も大変良い。7:30頃誰もいなくなった太郎平小屋を出発。北ノ俣岳手前で一人抜き、神岡新道分岐で下山する人々を横目で見て早速大トラバースにかかる。ここは小屋の人も言っていたが出来るだけ早い時間に通過しないと全然滑らない。同じ姿勢で長い時間滑るので大変疲れるがやっぱり早い。黒部五朗岳へはシールで登れる。山頂往復後、肩から滑りたかったが雪庇の張り出しが若干不安なので少し東に下ってからカールに飛び込む。上下左右遠近感覚がわけわからなくなる滑りを満喫し、あとは黒部五朗小屋に向けてひたすらトラバース。小屋で昼食のパンをとり、三俣蓮華まで一気に登る。丸山を越え双六岳の山頂に立つと、双六小屋への稜線は全く雪が着いていない。 今日は1日高曇りで展望もまずまず。周囲を見渡すと槍〜穂高連峰、鷲羽岳、水晶岳、我々が歩いてきた薬師岳、黒部五朗岳と全くすべて見える。ここからシールをはずし一気に双六小屋へ。
5/4 停滞(双六小屋)
双六小屋〜モミ沢(2030m付近) 標高差 520m (図―3)
双六小屋〜双六谷(2370m付近) 標高差 430m (図―3)
天気予報では天候悪化が報じられている。あのザラ峠みたいな強風を西鎌尾根で受けたくないので停滞と決める。ところが以外に天候悪化は遅く、午前中にモミ沢を湯俣川との出合まで滑る。午後もまだ天気がもちそうなので双六岳から双六谷(3段カール)を滑ろうと思い出発するが、山頂付近は雲の中になってしまったので途中から雪のついていない稜線を越えて直接トラバースして双六谷に入る。ここは快適そのもの。登り返しも非常に楽であった。
5/5 停滞(双六小屋)
双六小屋〜モミ沢(2270m付近) 標高差 330m (図―3)
今日は朝から雨。下山する団体さんが気の毒である。勿論停滞。
午後から雨もやんだようなので他パーティー(団体の居残り組らしい)3名と再びモミ沢を下り支流を登り返して丸山沢へ行く予定だったが、また天気が悪くなってきたので3名と別れ、登り返した支流を滑り降り(ここもものすごく楽しい振り子滑りの連続!)、また別の支流を登って小屋に戻る。この辺りは、地図とコンパスさえあれば本当にどこでも滑れると実感する。
5/6 双六小屋―樅沢岳―千丈沢乗越―槍岳山荘
天気予報は天気の好転を告げている。“今日こそ行かねば”と室堂から同じ行程を歩んでいる7名(いつのまにか日本人4名、英国人2名、デンマーク人1名の国際隊になっていた!!)は出発。踏跡はあるし夏道も出ている。鎖場もたいした事はない。相変わらず雲の中で展望がない以外は至って順調に見えた西鎌尾根だが、槍岳山荘直下になって状況は一転、天候は悪化しルートがわからなくなる。視界無し、トレース無し。「いつの間に小槍に取り付いていたりして・・・」杉山さんの冗談が冗談としてとらえられなくなる中、地図と高度計たよりにルート工作、最後はただひたすら上へ上へと登るとようやく平になる気配、右手に小屋を発見。小屋に入ると自分の髪がバリバリに凍っている事にようやく気付く。
5/7 槍岳山荘―槍ヶ岳―横尾―徳沢―明神―上高地
最終日は快晴で明ける。朝食後槍に登る。昨日の悪天が功を奏したのか(?)霧氷で真っ白な装いはさながら厳冬期を思わせる。“いままでの日々はこの日の為にあった!”と実感させてくれるこの美しく荘厳な槍の穂先からは、今まで我々がたどった全ルートが見渡せるではないか!何という感動!もう言葉にならない。
小屋に戻って身支度を整え、小屋の人に挨拶をしていよいよ槍沢大滑降!の筈だったのだが・・・。昨日の天候でカリカリになった槍沢はそんなに甘いものではなかった。杉山さんが慎重に1ターン決めてトラバースしているのをよそ目に何も考えていない私は無謀にもフォールラインにターンを繰り返そうとして2ターン目に早くも滑落。事の重大さに気づいてももう遅い。板も片方すでにはずれている。「あ〜ぁ」と運を天にまかせた瞬間、私の体は道標にまっすぐぶつかり止まった。最初はいったいどうなったのか全く把握出来なかったがどうやら恐ろしくラッキーだったらしい。板をつけ斜度のやや緩い右方へ行こうとキックターンしようと思ったらなんと出来ない。滑落のショックもあったと思うが、それ程までのアイスバーンだった。結局肩から滑り降りたのはデンマーク人のK氏だけで(すごい!)、他はアイゼンで少し下って雪が付いているところから滑り出す。「さすがジャパニーズオートルート、全く最後まで気を抜けない」などと妙に感心してしまった。あとはただひたすら長い長い大滑降。だんだん雪が重くなって来るがあとは気合いで。槍沢ロッジからはただひたすら板を背負って歩く歩く・・・。上高地に近づく程に新緑を通り越して初夏を思わせる様相に長い様で短かった9日間に想いを馳せるのであった。
今回は、日数をかけた分“北アルプスでの山スキー”というものを充分すぎる程満喫できた山行になったと思います。天候の関係で半日で行動を打ち切ったり停滞した日にその小屋の周辺を滑る事が出来たのは大きな収穫です。尾根沿いは強風で行動出来なくても、ちょっと沢筋に入れば風もなく、おまけに運が良ければ雲の下に出て視界が開けてまさに山スキー日和に急変します。「滑る余力があれば先へ進め!」と言われそうですが、このような余裕のある行動が出来たのも予備日が沢山あったからに他なりません。
とにかく、縦走を完了し、滑降を最大限楽しみ、良く食べ良く飲み、惰眠をむさぼり、いろいろな人との出会いありと全く山スキーツアーのフルコース+αを堪能させてくれた“ジャパニーズ・オートルート”でありました。
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